No Code
Chez Inno
Sazenka
Pizzeria Tintarella
Neh.via
Pellegrino
Le Api Osteria
Italiawine ABE
FARO Bistrot64
Gastronomia Heritage Yokohama Trattoria Bicolore Yokohama
Ostü
Aroma Fresca
Hujing
Naoto.K
Osteria dello Scudo
KASHIWAYA
Ristorante HONDA
villa aida
Shokuninkan
「職人館」館主。株式会社しなの文化研究所代表。公務員を退職後、1992年に八ヶ岳山麓で古民家を再生し、そばと地場食材の創作料理店「職人館」を開業。独学の料理と山里の知識で「里山料理」のジャンルを築いた第一人者として知られる。国内外のトップ料理人から山の識者として絶大な信頼を誇る。2016年農林水産省「料理マスターズ」シルバー賞受賞他、著書多数。最新刊は「なりわい再考」(地湧社)
「villa aida」オーナーシェフ。伊の「ドン・アルフォンソ1890」などで約4年間の修業後、1998年に故郷の和歌山県岩出市で開業。イタリア料理から、徐々に自家菜園と一体型のオリジナリティあふれるレストランスタイルを構築。ローカルなレストラン価値を高め、国内外から高い評価を受けている。2020年「第11回辻静雄食文化賞 専門技術賞」受賞、「Asia’s Best Restaurants 2022」14位など受賞多数。
「リストランテホンダ」(東京・外苑前)オーナーシェフ。神奈川県小田原出身。1996〜1998年仏・伊で料理修業。帰国後、1999年より「リストランテ・アル・ポルト」の副料理長を務め、2004年に独立。日本各地の“旬”“個性”ある食材をふんだんに用いた繊細なイタリア料理で定評がある。ミシュランガイドで一つ星を長きにわたり獲得。2022年料理マスターズ ブロンズを受賞。早くからロカボパスタの開発にも取り組む。
料亭「柏屋」主人・総料理長。大阪の日本料理店を営む実家に生まれる。大学卒業後、1986〜1989年「招福楼」に勤務。1992年、実家を継いて料理長に就任し料亭に改築。「ミシュランガイド京都・大阪2011」より三つ星を獲得し続ける。地域の活性化にも尽力し、2013年・2018年に料理マスターズ ブロンズ、シルバーを受賞。2020年に持続可能な食への取り組み「いただきますを考える会」を設立。
「オステリア・デッロ・スクード「L’E」(東京・四ツ谷)オーナーシェフ。1993年「ラ・コメータ」(東京・麻布十番)からイタリア料理の修業を開始。2003年にピエモンテ州、ウンブリア州、カンパーニア州他イタリア6州で研鑽を積む。帰国後「インカント」(東京・広尾)の料理長を務め、2018年に独立。イタリア20州の郷土料理とワインをシーズン毎に変えて提供。イタリア料理の生き字引的な存在。
東京都出身。「ラ・ロシェル」坂井宏之氏に師事し、1994年に渡仏。パリ「フォーシェ」などで研鑽を積み1996年に帰国。「オストラル」(東京・銀座)をスーシェフとして立ち上げ、その後シェフに就任。2006年に「L’Embellir」(東京・南青山、2017年広尾に移転)、2021年8月には自身の名前を冠した「naoto.K」(東京・神田錦町)をオープン。ミシュランガイドでこれまで12個の星を獲得している。
中学時代、横浜中華街で食べた東坡肉に感動して中国料理の道を志す。グランドハイアット東京「中国料理 チャイナルーム」、中国料理「JASMINE」グループ総料理長を経て、2019年中国浙江省天台州市天台県「星野リゾート 嘉助天台」の開業準備。 2023年、麻布台ヒルズにオープンした「虎景軒(フージン)」料理長に就任。中国の古典料理、医食同源の本質を大切にしながら中国料理のアップデートに邁進する。
1988年より「Gino」(東京・六本木)でアルバイトからイタリア料理に開眼。正式に入店し、5年間佐竹弘シェフに師事する。「素材に対して最短距離で調理する」という佐竹氏の姿勢に共鳴して研鑽を重ね、1998年に独立し「アロマフレスカ」を開業。フレッシュな香りを料理のモットーとする。新業態の開拓にも常にチャレンジを続け、2022年4月、京都に「Sincronia di Shinji Harada」をオープン。
「アントニオ」などで国内修業の後、渡伊。マントヴァの「アル・べルサリエーレ」、ピエモンテ州バローロ村「ロカンダ・ネル・ボルゴ・アンティーコ」では5年間腰を据え郷土料理を深く学ぶ。帰国後2007年「オストゥ」(代々木公園)のシェフに就任し、2011年よりオーナーシェフとなる。東京を代表するピエモンテ料理の担い手。
1997年渡伊。4年半でイタリア各地14軒のレストランで研鑽を積む。帰国後「オ プルチネッラ」(横浜)、「リストランテ カシーナ カナミッラ」(中目黒)の総料理長を務め、2013年独立。現在は「トラットリア ビコローレ ヨコハマ」、シェフズテーブルが話題の「ガストロノミア ヘリテージ ヨコハマ」(2022年開業)2店のオーナーシェフ。
1999年に渡伊。2010年「エノテカ・ラ・トーレ」でミシュランガイド一つ星獲得。その後独立してネオビストロ「Bistrot 64」をローマで開業。18年より「FARO」(銀座)のエグゼクティブシェフに就任し、ビーガン・ガストロノミーという新たな美食領域を開拓。2020年に東京でもミシュラン一つ星を獲得し、イタリアと日本を行き来しながら活躍中。
フォーシーズンズホテル椿山荘東京(目白)「イル・テアトロ」シェフソムリエ、「バー・エ・エノテカ・インプリチト」(恵比寿)3代目ディレットーレを経て独立。2014年に「イタリアワインと食材 阿部」(井の頭公園)を開業。「vinitaly」(2007)の国際コンクール ワインリスト部門最優秀ワインリスト賞を作成。ワイン専門誌などでも活躍中。
バーテンダーからキャリアをスタート。2007年、「incanto」(広尾)のオープニングスタッフとしてサービスに転身。「ilPregio」(代々木上原)、「Peperosso」(池ノ上)のマネジャー兼ソムリエを経て2022年より「Le ApiOsteria」のマネジャー兼ソムリエ。ウェブマガジン「イタリアニティ」でイタリアワインの魅力を執筆するなど活躍の場を広げている。
ワーキングホリデーで訪れたニュージーランドでのバイトがきっかけとなり料理の道へ。帰国後、国内のイタリア料理店で修業後渡伊。エミリア・ロマーニャ州パルマのレストランで研鑽を積む。帰国後、同州の郷土料理を核とした「ペレグリーノ」(広尾)を開業。現在は恵比寿に移転し、6席の小劇場的スタイルでの料理提供が話題を呼ぶ。
国内のイタリア料理店及び和食店で修業の後、2013年に渡伊。7年間ピエモンテ州で研鑽を積み、ミシュラン一つ星「アッレノテカ」などでスーシェフを務める。2021年帰国。銀座「Osteria GUCCI」を経て、オーナーシェフとして「ネビア」を開業。骨太なピエモンテ料理の経験知識をベースに、現代的な表現で郷土料理を供する。
イタリアでの料理修業の際に出会ったナポリのピッツァイオーロに憧れ、帰国後「ナプレ」を中心に都内有名ピッツェリアで研鑽を積む。2016年、柏市に「ピッツェリア・ティンタレッラ」を開業。2022年、ナポリピッツァ職人世界選手権日本大会、クラシカ部門優勝。同年、真のナポリピッツァ協会より、ピッツァフリッタ日本初の認定店として選ばれる。
「茶禅華」(東京・広尾)オーナーシェフ。栃木県出身。子供の頃より中国料理の料理人を志す。2000年より中国料理「麻布長江」で10年間修業の後、日本料理「龍吟」に学び、2017年に「茶禅華」を開業。日本食材の知識と調理法、中国料理の技法を統合し、独自の料理を開拓。2021年より「ミシュランガイド東京」で三ツ星の評価。「真味只是淡(真の味は淡に宿る)」を旨とする。
2022年10月「シェ・イノ」(東京・京橋)シェフに就任。山梨県出身。「キャセロール」(山梨・甲府)でフランス料理の修業をスタート。2001年に渡仏。「ステラマリス」(パリ)吉野建氏に師事する。2007年帰国して「タテルヨシノ」(東京)、同年9月「オテル・ド・ヨシノ」(和歌山)料理長を務め現職。クラシックな仏料理の伝道者となる決意で若き日の憧れだったグランメゾンの厨房を司る。
19歳の時にレストランの語源がRestaurant(レトーラン)=回復する食事であると知り指針の一つに。イタリア料理「イル・ボッカローネ」で修業後、2002年にニューヨークへ。「ジャン・ジョルジュ」で日本人初のスーシェフとなり2014年「ジャン・ジョルジュ東京」のシェフに就任。その後「The Burn」のエグゼクティブ・シェフを経て、22年7月に「No Code」を開業し、新たな食の価値を追求する。
TOP